犬と一緒の生活と便利な交通の意味

先日NHKドキメンタリーで病院のファシリティードッグを紹介していました。日本には訓練する施設がなくアメリカで教育していると知り驚きでした。

普段何気なく空港で働く犬をみかけますが、かれらの中は薬物だけでなく果物や爆発物を探す特殊な犬もいるようです。街中でも盲導犬や軍人と一緒にバスや電車で移動する軍犬も見かけます。かれらはとてもおとなしく、床に座っていたり伏せていたりして誰の迷惑にならないようお利口さんにしています。日本では犬をペットでなく、コンパニオン(相棒)として家族の一員として扱い始めているそうですが、アメリカでは当然のように犬をペットでなく家族や仲間としていますし、もちろん犬には人権がありませんが、物でなく犬猫は法律で守られていますから、食事を与えない、外で飼う、汚い状態だと虐待として動物専門警察官が出動し、手錠をかけて裁判所で裁かれます。

テレビのコマーシャルでは、ラスコーというダニ専門の犬が働く会社があります。そんな働く犬の役割や犬と人の役割を考えました。

警察犬は犯罪者を探したり、行方不明の人を探したり、日本でも報道される災害時の救助犬やすでに亡くなっている人を探す犬などが居ます。こうした特別な犬たち以外でも、アメリカで働く犬の中には、人の病気の発作前兆を事前に察する犬、精神的不安を和らげる犬、必要によって細かく仕事を覚えて人に尽くします。こうした多様な技能の訓練をされた犬の権利も守られています。日本全国での患者数と病院で働く犬の数を見ただけでも、まだまだ遅れているのだと感じます。もちろん盲導犬の訓練所が少ないし、時間も費用も掛かるのは、社会の受け入れの仕組みが確立されていなく、必要なのに公共の場で受け入れてもらえないこともあるのではないかと感じます。

意識改革をするのは確かに時間がかかると思いますが、日本のように文化も教養も高い国で遅れているのが気になります。2020年には東京でオリンピックが開催されることに先だって、先日、選手を競技場にバス輸送する予行演習がされた、というニュースを見ました。開会式の当日だけでなく、オリンピックでの競技具の中には乗馬の馬も含まれますから移動には細々の注意が必要でしょう。選手と同じぐらい大事な馬などはストレスに大変弱いです。さて、パラリンピックはどうでしょう。選手の車いすのバスの乗降だけでなく、視覚や聴覚のことも考えているのでしょうか? パラリンピックのサポーターは人間だけでなく犬がサポーターの場合もありますから一緒に移動するはずです。米国では本人ができるだけ1人でできるように工夫をするのがよいとされていおり、インディペンデントのために犬の補助は欠かせません。人に頼むのでなくできるだけ自分でできるように工夫をする社会です。例えば、マンハッタンではバス停の時刻を掲示板だけでなく音声でも案内をします。あるアメリカ人の盲目の建築家が、視覚を失ってからは聴覚が鋭くなり、足音で誰が部屋の前を通っているかが分かると言っていました。彼の発案でビルの中は場所によって床の音が違い、目的地に向かうのに床の音で判断する画期的な事務所ができました。盲目の建築家は、音や光、匂いを取り込んだ新しいコンセプトの建築を発案しているのだそうです。彼は盲目になったからこそできる素晴らしい建築があると胸を張って言っています。

私の住んでいるビルは、昔、犬を飼うのは禁止でした。人の心を支えるセラピードッグが確立されてから、改正されました。規制はありますが、使役犬でなくても、一緒にバスや電車、飛行機にも一緒に乗れます。何か月か前にセラピー蛇(大蛇です)はさすがに航空会社から断られて、話題を呼びました。フランスやイギリスで犬が一緒にカフェにいたり食事をしたりするのを1990年代に見ました。パラリンピック開催中や終了後に国内を旅行する選手もいるでしょうし、レストランにも入るでしょう、車いす、補助犬など、どのような案内ができるのでしょうか? 興味があるところです。

衛生面や安全面を考えてどこまで考慮できるかの問題だけでなく、個人生活を静かに見守る思いやり、それぞれが違う必要性に対応出来る公共施設が普通のことと思う日常になるよう、もう一度考えるのにオリンピックはよい機会になるかと思っています。そして、パラリンピック参加者やその家族、友人からどのような公共施設を母国で整えられているのか。また、何が必要なのかを参考にして、考えるよい機会になるだろうと思います。それを実現できるだけの東京都の大きさがあると思い、期待しています。

最後にあるNPOの代表がどのように眼の不自由な人に声を掛けたらよいかと問われて回答した言葉が印象に残りました。「“May I help you?”と視覚や身体に助けが必要と思われる人に声をかけるのではなく、「こんにちは」と声をかけてください。まず緊張がほぐれます。」よい言葉だとなと思いました。

私は次回から、「こんにちは」の後に「一緒に階段を降りましょうか? 私はエレベーターの場所を知っていますよ。」と言おうと思いました。