日本とアメリカの違い(忘れ物から感じること)

日本に一時帰国して1か月半が過ぎようとしています。時差ボケも取れて、仕事をしながら日本の“普段の生活”に少しずつ馴染んできました。“普段の生活”、というのは、たとえば、バスが通る道が狭くて2台のバスが交差できなく、1台が脇によって待ったり、タクシーのドアを自分で閉めなくてよい、など、とても些細なことですが、細かく気を使っている自分がいたりします。

さて、そんな時、ある事件が起きました、旅行中の忘れ物です。新潟への1泊旅行でしたが、布製のいつも持っている手提げをどこかに置いてきてしまいました。どこに置いてきたかわからず、とりあえずホテルに電話をしましたが、見つからないとのこと。それならタクシーの中かもしれないと思いましたが、あいにくレシートなどをキープしておらず、どのタクシー会社かわかりません。とりあえずタクシー乗り場へ行って係の人に相談したら、交番に届けたら出てくるかもしれないと言われ、交番へ行くと、今度は新潟警察へ電話しておけば見つかるかもしれないと言われました。

これは、もうあきらめるしかないと思い、同行した姉に事の一部始終を話すと、「もう一度観光案内所に行って話してみましょう」とのこと。

案内所では、本当に親身に話を聞いてくれました。何時にタクシーを降りたか聞かれたのち、案内所の事務所の中でしばらく待たされました。どうやらカメラに映った私たちの姿を根気よく探してくれていたようで、タクシーから降りた姿を見つけてくれました。どこのタクシーかも特定し、そのタクシー会社に連絡をしてくださり、タクシーの運転手さんを見つけ出し、手提げ袋の存在を確認してくださいました。そして、なんとその運転手さんが駅まで届けてくれたのです。観光案内所の係の方たちの行動は「仕事」としてではなく、心から助けようとしてくれているように感じました。

絶対に見つけられないと思っていたので、とても感動しました。アメリカでは、落とし物が出てくることはまずないからです。日本のこうした行動は、いったいどこからくるのでしょう?

日本のニュースで知りましたが、震災の時でもきちっと並び順番を待つ人たちや、スポーツ会場でごみ持ち帰る観客…。それに、新幹線の中には食べ残しや空き缶など転がっていない…。これらは、親切やケアの形が日本とアメリカでは違うように感じました。

たとえばニューヨークでも、親切は(日本とはちょっと違う形かもしれませんが)あります。道で転んだり倒れた時には、周りの人が救急を呼んだり、警察に連絡したり…。私のアパートでは、住人の具合が急変して、救急が駆けつける前に同アパートの看護師や医者が駆けつけて救われた、なんて話も聞きます。ニューヨーカーは、個人主義という人もいますが、人それぞれです。

今回は、日本で体験した心温まる出来事を記事にしました。

今回戻ってきた布製バッグ